模型製作を愛好する皆さまへ
はじめまして。
初代キングこと山ケイ弟と申します。
多分、このブログをご覧の皆さまは戦車をモデルにした模型、
特にプラスチック製の模型製作を愛好されているかと思います。
皆さまにおかれましては模型製作自体に何を楽しみに見出しておられるか?
多くの愛好家たちにとってそれは写真やプラモの箱絵やらで
その形、その用途に少なからずの憧憬を感じてその対象を「所有」する喜び、
あるいは自らの手で「作り上げる」喜びを感じておられると思います。
私自信も同様の喜びを感じて模型製作の楽しみを感じています。
ことに、シャーマン戦車のその形態やら、
プライベートライアンやバンド・オブ・ブラザーズやらでマスコミにさらされた、
その用途に興味を覚えたことがきっかけです。
さらに言うのであれば、私の職業が建設業ということもあり、
戦時下におけるヒエラルキーというか、戦争という行為を運営するための体制自体が
普段の生活と密接に関係していることに端を発します。
私の職業の話をちょいとだけお話すると、
ゼネコンの所長=大尉以上の階級の中隊長以上クラス
ゼネコン職員=少尉、中尉以上の仕官
現場の職人=一般兵
現場の班長、職長=軍曹やら曹長
といったことが簡単に対応でき、しかも危険と隣り合わせの生活です(現場では)。
私は少尉、中尉に当たる仕事をしています。
当然、現場張り付きゼネコン職員となると、軍曹や上級職である中隊長たちとやり取りや打ち合わせを行い、
日立建機やコベルコ、CATの重機を駆使する一般兵たちに指示を与え
「自然」という予測不可能なものを制してインフラを整備することが任務になります。
さて、話がそれてしまいましたが、こういった生活の楽しさ、大変さ、
これが自分のアイデンティティーだ、ということを誰かに伝えたいと考えるようになりました。
手じかな方法として身の回りにあったのがプラモデルでした。
プラモデルがモデル化の対象としているものに戦車がありました。
戦車の用途は戦争に使うということ以上に、
私にとっては普段手足のように使わせている
建設機械の臭いがぷんぷんしてならない、というのが個人的な感覚でした。
戦車という乗り物を使ってある目的を果たそう、という
用途とその目的を達成するために
乗組員と直脇で協力する歩兵の関係というものが
建設現場そのものであると感じました。
建設現場での乗り物は用途上、あのような形をしていますが、
戦場での乗り物はそれ相応の用途があるため
戦車のような形をしていると思います。
話は飛びますが、出身地は愛知県です。
高校の社会の時間に哲学というみんなスルーするような科目があったと思いますが、
その哲学の時間に「フィロソフィー=愛知、知を愛する→哲学」ということを言われました。
これがいまでも頭の片隅に引っかかっています。
出身地のこともあり、少なからず興味を持ちましたが、今はほとんど忘れました。
しかし、今でも覚えている単語に「イデア」というものがあります。
「イデア」とは、ギリシャ哲学の分野で使う言葉で、
イメージよりもさらに強い形而上の意味をなす言葉です。
例えば、「正三角形のイデア」というのは
「三つの辺の長さが全て等しい三角形」という
誰でも頭の中でそのものを空想できる、
理想的な定義なようなものをイデアと言います。
では、シャーマンのイデアとは何か?
なんでもいいです。
四号戦車のイデアとは?
これは高石さんがしきりに称えている「イメージ」に対する反発でもあり、
模型という目に見える形で表現する方法への挑戦です。
散文的になってしまいましたが、私のアイデンティティーである、
建設現場と戦場を結びつけるアイテムが戦車であるということは
なんとなくわかってもらえたと思います。
このため、私にとって模型製作は自己表現方法の一つであります。
自分自身を表現するのにおろそかにすることは、
自己否定にもつながると考えていますので、適当に流すのは自分自身許されざる行為です。
そのため、特にシャーマンを製作するときは誰が何も文句が言えないような
理想的な形状のもの(=シャーマンのイデア)を製作することを目指しています。
いささか文章が長くなりましたが、このようなスタンスでシャーマン戦車を製作する上で
各社が発売しているシャーマンのキットの製作ポイント(改修ポイント)を解説していこうと思います。
もちろん間違い、足りない点等も出てくると思いますし、逆に聞くこともあるかも知れませんが、
末永くお付き合いしていただければ幸いです。
初代 山ケイ弟